コロナ休暇が過ぎて感じたこと。
コロナ休暇ていうか、コロナにかかり、
あれや、これやと、事を進め、一段落ついたところです。
先送りにしていたこと、
リモートで行ってきたこと、
もろもろの事柄。
落ち着いて、物事に取り組める感じが、出てきた感があります。
というのも、
新型コロナウィルス感染症におかげで、
自宅待機・療養もあり、全てがストップしてしまいました。
その後の取り返しで、かなりの時間を要したものです。
当初、新型コロナウィルス感染症って、すぐに死に至る病でありました。
いまは、誰が罹患しても、不思議ではない病気。
さらには、変異株も出てきているようで、
第8波の予測も出ています。
そんな今、考えるところを。
心持ちの変化がうまれました。
これまでのキャリアとして振り返ると、
大学を卒業して、企業に務め、
資格をとって独立、
それから、法人を設立して、、、
と、がんがん前に前に進んできました。
そんな最中の新型コロナウィルス感染症のコロナ休暇。
今、これまでにない穏やかな日々が、新たに始まった気がするんです。
穏やかなと言う意味は、忙しさを捨てられたという意味です。
忙しさの原因は、きっと、将来に対する不安が根本にありそうです。
このままでいいのだろうか?
世間では、社会では、ワタクシ以外は、一緒懸命に働いている。。。
でも、自分は、こんな状況下で動けない。。
一種のあせりみたいな、焦燥感。
この先、どうなることやら的な。
でも、この焦燥感って、中毒性があって、
まるで、アクセルを目一杯踏んでいるクルマで、疾走している感触。
そう、この感触が今、ワタクシにないんです。
そう、一言で書けば、今のことに集中する。
これに尽きるかなと。
今、ここにいることに感謝しつつ、今があるから、生きている。
生きているから、今がある。
これが生きるということではないかと。
将来の不安は、期待の裏返し。
叶えたいことは、たくさんあります。
でも、すべてを完璧にすることはできない。
だから、取捨選択が必要。
やるべきではないことをしっかりとやらずに。
できることは、しっかりと取り組む。
幸せの秘訣。
思うに、、、、
人様のお役に立てる。
それが、ビジネスなのか、プライベートなのかの差はなく。
ちょっとしたお声がけ、
喜捨のようなちょっとした寄付、
全身全霊をかけて取り組む仕事。
どんなレベル感であっても、
人それぞれで、できることがあるのでは?と思います。
人間は、社会性があって初めて人間になれる。
つまり、人との交わりがあって、存在する。
今ここにいることと、人との交わること
今の段階で、考えている生きるという意味は、
こういうことではないかと。
プライベートであれ、仕事であれ。
これに外れることは、もうできない気がしてきています。
うーん、図らずも人生を語る。
そんな書き込みなってしまましたね。
また、深掘りしたいと思います。